作り手の梅津秀さんが、8月14日にお亡くなりになられました。
あまりに悲しくて、言葉にし難いこの現実を受け入れるのに私自身時間がかかっておりますが、日頃よりお世話になっている方々や八橋人形をお取扱いしただいてる店舗のみなさまには、この場をお借りしてご報告と日頃よりの感謝を申し上げます。

一度は途絶えてしまった八橋人形を復活させた梅津さん。
途切れてしまった伝統文化を復活させるのは、並大抵のことではありません。
技だけでなく、材料の調達や制作の段取り、販路に至るまで、伝統に則ったかたちで新たな仕組みを探っていかなければなりません。

梅津さんは、新聞記者時代に取材を通して八橋人形と出合い、郷土玩具の蒐集家として知見があったこと、長年日本画を描いてきて絵心と技術があったこと、地元の繋がりやタイミングなど、さまざまな要因が奇跡的に重なり、八橋人形を継ぐことになりました。
そうした経緯をお話ししてくださったのは、私が秋田に移住して1年目のこと。

まだ迷走中だったよく分からないナウビレッジの活動を「おもしろいね」と褒めてくださり、初めての取材も二つ返事で受けてくださりました。
当時はまだ7ヶ月の赤ちゃんを連れてあちこち取材をしていたのですが、取材中に子どもが歯固め代わりに梅津さんのボールペンをがしがし噛み始め、よだれまみれにしてしまったのを「いいよいいよ、それうまいか」と、笑って許してくださったおかげで、私は梅津さんにゆっくり話を聞くことができ、フリーペーパーvol.2ができました。

先代の道川トモさんから継いだ人形型の復元は、まるで発掘作業をしているようで、このかたちは扇子じゃないか?この絵付けはどうする?など、迷いながらも弾む声で作業に取り掛かられ、いつもあたたかな眼差しで八橋人形と向き合っておられました。
そんな姿に影響されて、私も復元のための資料を探したり、郷土玩具に詳しい方が送ってくれた資料をお届けしたり。

パズルのピースを埋めるように八橋人形を復活させていく様子を、いつも楽しく、頼もしく拝見しておりました。
まだまだ教えて欲しいこと、話したいことがたくさんあったので本当に残念でなりませんが、梅津イズムは大切に受け継がれており、工房では会のメンバーたちが制作を続けてくれています。

ただこれは当たり前のことではなく、奇跡的に繋がれたバトンであることを肝に銘じておかなければなりません。
どの分野も作り手の高齢化や後継者不在がなげかれるなか、今日続いている伝統は、誰ががどこかで踏ん張りながら一生懸命守ってくれているという事実があります。

そのひとつひとつに感謝しながら、わたしもできる限りの力を振り絞って精一杯生きようと、改めて思いました。
ご冥福をお祈りいたします。



