秋田に住んで4年が経ちました。
この夏から、いよいよ5年目がスタートします。

茨城で生まれた私は、埼玉に12年、愛媛で5年ほど暮らしましたが、やはりどの街も「住めば都」。
移住当初はそれなりの難しさがあるものの、土地に馴染むことができればその土地ならではの暮らしを楽しむことができます。
今回は、4年間の秋田暮らしで得たものについて振り返ってみようと思います。
第1位は、ダントツで「恐怖心」です。

秋田に来るまで、日常生活の中でこんなにも恐怖心を抱きながら過ごしたことはありませんでした。
冬がとにかく長い雪国での生活は、凍てつく寒さと運転の怖さなど、今まで味わったことのない恐怖の連続で、それらは年々薄れるどころか核心的なものになりつつあります。
恐怖には「知らない怖さ」と「知っているがゆえの怖さ」がありますが、3年目以降は前者から後者に代わり、冬の間は無茶をしない、無理をしない、が、鉄則に。
大げさではなく、死の恐怖をわりと身近に感じるようになりました。

自然の猛威を前に、自分自身がちっぽけな存在に思えることもありますが、でもそれは神や自然への畏怖で、きっとここからある種の信仰心が生まれているような気もします。
現に秋田は、国重要無形民俗文化財が日本一!
田楽・獅子舞・盆踊りなど、その土地の歴史や風土を含んだ歌や踊りが信仰と共に数多く残っていて、どの地域へ行っても、魅力的で人の心を動かす独創的な文化があります。
それは本当に凄いことだとつくづく思うのですが、こうした環境下だからこそ、大切に「文化」が守り継がれているのでしょう。

第2位は、「お家こもりの仕方」です。
コロナ禍になり、お家時間の過ごし方に苦労した方も多いと思いますが、まさにそれ。
冬の間、お家でどう過ごすかは、私にとって移住当初からの大きな課題でした。

そんななか習得したのは「パンを焼く」こと。
ここで公言するほどオシャレでも、天然酵母でもない、恥ずかしいくらい素朴で家庭的なレシピの(時にホームぺーカリーを頼る)パンですが、移住一年目は狂ったように焼いていました。
0歳の赤ちゃんを抱えて外に出られない(出るのが怖い)引きこもり状態が続いたある日、気持ちが滅入り無力感に苛まれ…、でもそれと同時に「何か、生産的なことをしなければ!」という焦燥感にかられたのです。
それで始めたのが、パン焼きでした。
発酵を待ちながら、作って楽しい、食べて美味しい、この単純な生産行為に、どれほど救われたことか…。

思えば、イタヤ細工やあけび蔓細工なども、農家の冬仕事として生まれた手仕事。
もしかしたら、これらを生みだした先人たちも、同じような気持ちだったのかもしれません。
本業ができない状況下でも、今できる環境で何かを生産したい、糧になる何かを生みだしたいと思う気持ちはきっと人間の本能で、その前向きな精神が秋田の冬仕事を形作ってきたのだと思います。
(私の場合は、副業にもならないただのパン作りでしたが…それでも十分救われました。)

第3位は、「カメムシ退治法」です。

なぜなのでしょう? 秋田には、驚くほどカメムシがたくさんいます。
それは関東で目にしていたカメムシではなく、見たことがないほど度肝を抜かれる大きさで、最初はそれがカメムシとさえ分からないほどでした。
叩いてしまうと激臭を放つので、ガムテープでピッと取るか、空いたペットボトルの口をあてるようにして吸い取るか、どちらかの撃退法を身に付けました。今では、一刻も早く撃退せねば!というプロ意識が働くほどに。
反対に、驚いたのが茶色い「G」がいないこと! ここ秋田は寒すぎて生殖できないらしく、それはもう本当に嬉しい事実でした。

秋田暮らしで得たことは、まだ他にもたくさんありますが、とりあえず今回は上位3つを挙げてみました。
「ところ変われば品変わる」という言葉があるように、暮らしも手仕事も土地の風土や自然環境、歴史によって大きく変わります。
初めての東北&雪国暮らしはその違いが新鮮で、何もかもが面白いと感じられる好奇心にあふれた4年間でした。

今まで当たり前だった冬の過ごし方が覆されたことで、価値観や思考も大きく変わったような気がしています。
更なる目標は、この変化を自分でしっかり受けとめながら、何かの機会に活かすこと、誰かのお役に立てたらいいなぁ~なんて思っています。

地域によっては30年、いや、3世代住まないと「地元の人」にはなれないと聞いたことがあります。
だから私は、まだ秋田初心者。
ひよっことして、秋田の先輩たちからたくさん学んでいきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



